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「いじめは楽しい」と認めよう

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 世の中には、「いじめの何が楽しいのかわからない」と言う人たちがいます。しかし、そういった人たちは、いじめについて考えることを放棄しているに過ぎません。このことについて考えてみましょう。

 

いじめは楽しい

「いじめは楽しい」と認めましょう。なぜなら、そこに笑顔が生まれるからです。誰かが誰かを傷つける事で、傷つけた人は笑います。そして、それを見ていた人の中にも笑う人はいるでしょう。いじめは、いじめる側にとって楽しい行為なのです。

 

楽しいこと ≠ 良いこと

当然ながら、楽しいことは良いことであるとは限りません。いじめは楽しいと認めると同時に、他人を傷つける行為であることも忘れてはいけません。

 

相手の立場に立って考える

では、「いじめの何が楽しいのかわからない」と言うことの何が問題なのか考えましょう。問題なのは、いじめについて考えることを放棄していることです。

「いじめの何が楽しいのかわからない」という言葉には、「私はいじめは楽しいとは思わない。だから、いじめは私には関係ない」という気持ちが含まれていると思います。

また、物事を考える際には多角的に見ることが大切です。いじめには、いじめる側、いじめられる側、それを傍観する側があります。「いじめの何が楽しいのかわからない」と言う人は、いじめられる側からしか考えず、いじめる側や傍観者の楽しい気持ちを無視しているのです。「いじめは楽しい」と認めた上で、いじめる側の視点に立ち、ならどうすればその楽しい行為をやめさせられるかと考えるのが本来のあり方ではないでしょうか。

 

「いじめの何が楽しいのかわからない」そう言うのは、その人の自由です。しかし、そう言うことによって、いじめについて考えることを放棄しているととらえられることを意識しておきましょう。

 

 

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